先週と今週はツール・ド・おきなわ市民210km(市民レースの日本最高峰の大会)に参加される方の最終レッスンがありました。この1年の集大成とあって、皆さんの熱気が伝わってきます(上位は殆ど実業団レーサーなのですが…)
そして、いよいよ今週末はツール・ド・おきなわ。彼等の活躍が今から楽しみです。(来週はIronman70.3厦門とIronmanマレーシアです)このレースは日本で唯一の市民が参加できる本格的な210kmのロードレースなのです。
自身もツール・ド・おきなわ市民210kmに、ロードレース開始2年目の2007年に、出場した経験があります(当時は市民200でした)それはまるで昨日の事の様です。
https://www.tour-de-okinawa.jp/←ツール・ド・おきなわのHPです。
完走するのも困難と言われていますが、ロードレーサーだけでなく強豪トライアスリートの多くも、このレースの完走を目指し、この大会に参加しています。(ロードレース・集団走行の練習はした方がいいと思います)
今は、昔と違い、市民レース210kmと140km以外は、カテゴリーわけがされています。皆さんも機会があれば参加してみてはいかがでしょうか?(ロングのトライアスリートにお勧めは210kmか140kmです)
市民200kmのレースはこんな感じでした。最初の1時間はパレード走行的な意味合いもあるのですが、この区間での落車がかなり多いので丁寧に走ります。ロードレースでは定番の選手間の怒鳴りあいがきこえてきます(どけ〜、下手くそ、邪魔じゃ〜など…。)
こんな小競り合いは完全に無視をして、とにかく落車だけは避けたいので、みるからに”下手くそな人達のグループ”からはさっさと抜け出し、前方にあがり、有名選手たちのすぐ後方の集団で(320人参加)展開します。
そして平坦区間は何事もなく終わり、1回目の普久川ダムの上りの手前で、武井選手が「ロードレースは楽しいねえ!みんないかないの?」と先頭集団を煽ります(笑)
そして、普久川ダムの上りに突入、武井選手は「いくよ、ほっほっほっ!」と実際に声を出して登っていました。コレはまさに劇画の世界です(笑)。しかしこの登りは関門の意味合いもあり、ここで登りが苦手な多くの選手が千切れていきます。
そして登り終わると高江までの長い下りが始まります(下りのテクニックがないとかなり厳しいです)しかし実際は、そのあとのひたすら続く海岸線沿いのアップダウン区間で集団は更に絞られていきます。
そしてあっという間に、2周目に突入です。平坦区間になると後ろの集団が徐々に追いついてきます。そして2回目の普久川ダムから、一般の参加者のサバイバルゲームが始まります。
2回目の普久川ダムをダンシングで必死にクリア、先頭からは15秒ほど遅れてしまいました。しかしこれなら下りで追いつけます。登りが終わり、下りが始まると集団は更に小さくなり、最終的には15名程度に絞られてしまいます。
残り50数キロ地点、当時の有名選手の表情をチェックし、その動きを確認します(武井さんや白石さん、西谷さん、高岡さん、岡崎さん、笹くんなど当時、雑誌でよくみる選手達がばかり…)
とりあえず、この集団に残れてホッとしたのもつかの間、残り50㎞をきった途端にレースが動きます。
武井選手・高岡選手を筆頭に、有名選手達が一気にペースアップしていきます。集団の後方で小さなパックが出来上がっていきます。
離れては追いつき離れては追いつきを繰り返します。自身も何とか前のパックに追いつこうと必死にもがきます。
しかし前を走る6名前後は余裕が全く違いました。長い下りが終わり残り45㎞、ここからが実際の勝負所である海岸沿いのアップダウン区間です(この区間は海岸線で風もキツくほんとうに辛い区間です)
この時点で大まかに前7名、後ろ8名程度のパックにわかれてしまいます。自身は後ろの8名のパックにいましたが、前のパックはまだすぐ前方に見えていました(前に追いつきたいのですが既に脚は残っていませんでした。)
そして残り40㎞地点の宮城あたりで、高岡さんが逃げたのが確認できました。
少しづつ高岡さんと後続パックの距離は離れていきます。そして前のパックと、後ろのパックも少しづつ距離が離れていきます。
残り30km地点、ここで自分のレースは実質的に終了。第2パックから千切れてしまい第3パックが形成。
第2パックから千切れた4名でローテーションを回します。(高岡さん-6-4-4のパック)
このまま4名で逃げ切れば12~15位くらいでゴールできますが、自分も含め、既に脚は売り切れているのでローテーションが上手く回りません。
ひとりづつ千切れていき、自身も残り20kmの、安部付近で完全に一人旅に、そして残り9kmで集団に飲み込まれてしまいました。スプリント力は全くないので、これで完全にジエンド…
そのまま集団でゴール。総合35位(完走は139人/317人)、残り40km地点までは先頭集団で展開し、その時の自分の持つ力を出し切ることが出来ましたが、トップ選手7名との圧倒的な力の差を感じたレースでした。
市民210の完走は普久川ダムの登りと、そのあとの海外沿いのアップダウン区間をいかにしのぐかが、レースのキーになります。ツールドおきなわ市民200/2007年のレポートでした。
そして続いてはは2010年、トライアスロンの挑戦を決めた時に同僚に誘われ、ツール・ド・おきなわの市民50kmに出場することになりました。(骨折で半年ほど休養した後の、復帰のレース)
その時のシクロワイアードのレースレポートこれです。→https://www.cyclowired.jp/news/node/47324
参加者は510名‥30km迄は先頭集団で様子を伺い、集団が絞られた20km地点で逃げる事を決めます。
スプリントが無いので勝つ為には逃げるしかありません。残り18km地点で脚のある選手に「一緒に逃げませんか?」と誘いますが断られたので一気にアタック!
そのまま単独で17㎞を逃げます、後方の集団はどんどん離れていきます。全く追いついてくる気配もありません。
残り3kmの地点で後方の集団とは3分差まで広がりました。3㎞地点で応援してくれていた女性が「溝さーーん優勝確実~~3分はあいてますよ!!」と叫ぶ声がハッキリと聞こえました。
残り2km地点で後ろを振り返りましたが集団は全く見えません!「ありゃま、ほんまに逃げ切った」優勝か?そんな気分でした。
しかし残り600m地点でまさかのハプニングが‥。先導の白バイがゴール直前で右折し、自分もそれについて右折すると、それはゴール直前なので誘導をやめて右折した。ゴールはそのまま真っすぐだったとのこと…。
焦ってコースに戻りましたが、そこに後方集団が‥残り500mで集団にのみ込まれます。1番右端で落胆の写真(笑)
これでジエンド、諦めの集団ゴールとなりました(笑)17㎞を一人で逃げて、残り600mで痛恨の道間違え…笑うしかありませんでした。
デビュー2年目の2007年と2010年のほろ苦いツール・ド・おきなわの想い出です。
ツール・ド・おきなわに参加の皆さん、日本最高峰の市民レースの舞台を楽しんで下さい(その後、実業団レースで日本を転戦しましたが、この大会よりも魅力的な大会”市民210”はなかったと思います)
またいつの日か参加したいロードレース関連の大会は、ツール・ド・おきなわ市民210と富士国際”あざみらいん”ヒルクライム(ヒルクライムの日本最高峰のレース)くらいですね。
明日のツール・ド・おきなわ市民210が楽しみですね。